こんにちは、わさびです。
ぼくは何を伝えたいんだろう。
ぼくは何のために生まれたんだろう。
ぼくは何が幸せなんだろう。
色んな思考の濁流に吞み込まれ、もがいて苦しんで逃げる。
自分が蒔いた種が悪しき花をつけたとしても、自分の責任として受け止めることはできなかった。
指導者が悪い、環境が悪い、会社が悪い、色んな事に目くじらを立てて、如何ともしがたい怒りが湧き溢れて出てくる。
こんな生活を物心ついた時から送ってきたような気がします。
心から大切なパートナーと一緒に生活する中で愛し愛され、叱咤され、励まされ、支え支えられ、やっと自立することができた。
そしてその中でやってみたいことが生まれた。
表現の方法は様々あるのだろうけれども、ぼくは言葉をもって自分自身をさらに深め明らかにしていきたい。
自分の中の言葉とは、書であり、文字そのものであり、文章だと感じ、直感に従って自分の生きる道を再定義していこうと考えている。
2021年の年の暮れ、ぼくは15年ぶりに筆を持ち、書を始めることにした。
新しい自分の生きる道の大切な一歩である。
「道」の意味、概念ってなんだろうか。
道って言葉を聞くとどんな言葉、意味、概念があるだろうって思い浮かべてみた。
道路、道徳、道場、書道、歩道、茶道、車道、弓道、道標、街道
こんな単語が脳裏をよぎってきたので、少し分類してみる。
・道路、歩道、車道、街道
・道徳、道場、書道、茶道、弓道、道標
上半分は物理的な道で歩いたり、走ったり、移動するために必要な道。
言ってみれば目に見える道だと感じた。
一方で下半分は目に見えない道だけど、確かに何か存在をもっている何か。
ぼくは人生の大半を上半分の道を意識して歩んできた。
親(振り返ってみると母親)が敷いた道をなるべく最短最速で突き進むべく、色々なものを犠牲にし、挙句の果てには自分自身を犠牲にしてボロボロになっていた。
でも人生の大きな転換期を迎えて、ぼくは下半分の道の存在にあらためて気づき(気づかせてもらって)、深めたいと思った。
長いようでいつ果てるかわからない人生だからこそ、自分の生きる道をぼく自身で敷いて悔いなく突き進みたいと熱望している。
日々を過ごす中でぶわぁっと突然湧いて出てきたのが、幼少期に習っていた書道の存在。
人生のどこかで非生産的だと感じ、価値を見出すことができなくなり、手離していた自分のかけらである。
でも今のぼくにとって、書道は自分の生きる道を導いてくれるあり方だと直感し、15年ぶりとなるが書道具を揃え、一歩を踏み出すことにした。
「道」を敷くための下準備と人生の繋がり
書道を始めるにあたって、色々な葛藤を経て自己変革を促してきた。
いや、葛藤し自己変革を繰り返してきたからこそ、書道を始めることができた。
例えば、物理的な環境の変化。
過去のぼくが苦手としていた片付けができるようになったから、書道をするためのスペースが部屋に生まれた。
過去のぼくが苦手としていた洗い物をするようになったから、書道後の道具を洗うことができた。
例えば、精神面での心の変化。
過去のぼくが大事にしていた効率や生産性を捨てたから、一見生産性のない書道を始めたいと思えるようになった。
過去のぼくが賞を得るための道具としてきた書道の価値観を変えたから、想うがままに楽しんで悩んで書道を行えるようになった。
怒りに呑まれ、自分の蒔いた悪しき種で苦しんでいたままであったなら、書道に価値を見出すことができなかった。またやってみたいと思うことはなかった。
でも過去の自分があったから、過去の自分を振り返り反省することができたから、自分の中に眠っていた書道を再発見することができたんだとそう思う。
新しく敷いた書道という「道」を歩き始めて感じたこと
猛烈に書道をしたい、筆を持って文字を書きしたためたいと想った。
でも実際に書道具を揃えてから、書き始めるまでに結構な日数を要した。
年末で仕事が忙しいという理由を建前にして、書道をする時間や体力を捻出する手間を惜しんだ。
また、自分の中の怠惰な面がでてきて、変化を一歩踏み留めていた。
でもやっと始めることができた。
食欲、睡眠欲、性欲、怠惰欲、金銭欲、あらゆる欲を書道にぶち込んでみたらどうなるんだろうって。
なんかすごいことになるんじゃないかって自分を信じることができ、突き進んでみた結果やっと始めることができた。
実際にやってみた感想は、「やってよかった」に尽きる。
買ってきたばかりの筆をあけると、「あれ?筆がめっちゃ硬い。」って気づいた。
筆の毛が糊付けされていることを忘れていて、ぬるま湯でせっせと優しく筆をおろした。
硯に墨汁を注ぎ込むと、突然ぼくの鼻腔を懐かしさを感じさせる墨の香りが襲ってきた。
書き始めようと思うと、おろした筆から抜けた毛が邪魔で少し取り除いているうちに指が墨で黒くなった。
無意識のうちに硯の上で、筆先の形を整える自分に気づいた。幼少期の自分が生きていた。
半紙の上に筆先を置こうとすると、どう置くんだっけと迷う自分がいた。
えいやっと筆先を半紙につけて進めてみると、想像していたように筆が進まないことに気づいた。
幼少期の書道の先生に、「一」の漢字を何回も書きなさいって言われたことを思い出した。
何本も何本も一という感じを書くうちに、とめること、あえてはねてみること色々思い出が沸き上がった。
筆を滑らすうちに今度は自分の呼吸の音がはっきりと聞こえてきた。
呼吸と体が一体化して書道というあり方の中に溶け込んでいく感じがした。
今日は新しい「道」を自分自身で切り開いた記念すべき日。
書き記した文字は「道」。
これから書道を通じ、日常を通じ、あらためてぼくを見つめ深めていこうと自分自身を信じた日となった。
きっと人によってこの道は色々あるのだろう。
ただぼくが気づいたぼくというあり方を深める道は「書道」だと直感している。
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